兼ヲタ日記

ジャニヲタで若手俳優のおたく。

結局なにがいいたいんだろう日記

支離滅裂です

 

 

日本は無宗教だからアイドル文化が発達したって誰かが言ってたような気がします

 

信仰の対象が神じゃない身近(?)なところにいる人になるってだけのことで

 

アイドルのスキャンダルとか起きた時に、そのアイドルが自分の思った人物像じゃなかったから炎上するんだって

 

キャラ作ったら自分のことはひた隠しにするか、キャラを作る段階で自分の性格にすり合わせるかの二択なんだなって思った記憶があります

 

 

そんな中で信仰を「若手俳優」とかいう超不安定な地位の人に捧げているって変わり者だなという自覚はある。でも「人」を信仰の対象にしてるということではジャニヲタも女子ドルのおたくも地下アイドルのおたくも、言ってみればホストにハマった彼女だって同じなんだなって最近ちょっと思って

 

 

その思ったきっかけがあのツイッターの学級会なんだけど

 

 

あれを見て、きっと2次元を信仰の対象にしてる人と3次元に生きてる人を信仰の対象にしている人は一生分かり合えないんだろうなって思った

掛け持ちしてる人もどちらかの要素が強いってのは絶対にあると思うので、グレーゾーンはあるにしてもそこは二分されると思う。

 

 

2次元は各々キャラクターの解釈の仕方があると思うけど、「これが正解です」と信仰の対象であるキャラクター本人やコンテンツ自体に言われることは天地がひっくり返ってもないわけで。いくらおたく同士で議論しようが、アニメの公式や原作者がちょっかい出してこようが、2次元のキャラクターの存在自体は何も言わないから自分の解釈が1番正しい。そこが1番楽なところであり、俳優のおたくにとって「だから2次元のおたくは」と言ってしまうようなめんどくさいおたくを生み出す原因な気がする。

 

 

 

逆に3次元の生きてる人間を信仰の対象としている場合、オブラートに包む人もいるし全く自分の意見や解釈を言わない人もいるけれど、基本的には自分と推し(とあと同担)、それぞれが考えることがあって解釈の違いが生まれてくる。自分の考えが絶対正しいということはほぼありえないと見て良いと思う。だからイベントやSNS等、本人が本人の言葉で発信できる場が大切なのかなって。いまや炎上しない程度に本人から発信してなんぼの時代だし。依存体質といえばそうかもしれないけど、自分で考えたことが信仰の対象本人から言葉や態度で否定されるかもしれない恐怖を持ってたりする。たまに「自分と推しは以心伝心」的な私にはよくわからない考え方の人もいるけど、一般的にはそんなような気がしてる。少なくとも私はそう。

自分の解釈を手紙などを通じて本人に伝えることができる喜びもありつつ、否定されたらどうしようっていう不安もある。

 

 

 

そんな生きてる世界が違う2つの人種が交わるのが2.5次元の舞台だと思うから、同じ宗教を信じていたって解釈違いで簡単に争いが起こるのに異教徒なんて排除の対象以外の何者でもないですよねわかる。強くそのものを信仰していればしているほど排他的な考えになってもおかしくないと思うので。

 

 

 

 

 たまに見かける「わたしの××(キャラ)くんはこんなんじゃない!」っていう反応は、推し(だと認識されるもの)から自分とは違った初めての解釈が出てきたことへの拒否反応なんだなって思ったら許容できる気はしないよね無理だよねだってわたしは俳優のおたくだもん。

 

推しが出てればなんでも行くし、推しなりの解釈を知りたいと思うし

推しがこのキャラクターを演じてくれてよかった!とかは思うかもしれないけれど元々2次元のそのキャラクターが出てくるコンテンツのおたくではないから

 

 

そんなこんな、色々考えてみると、2.5次元舞台にくる層がその舞台を観終わった後に「俳優のおたくが原作もいいなと思って原作のファンになる」のと「原作のおたくが俳優のこと気に入って俳優のおたくになる」の二つの道があるとしたら後者へのハードルが圧倒的に高い気がする。

なんでかって、2次元のキャラクターを信仰している人は「推し本人から自分の解釈を否定される可能性がある」ことに慣れてないんじゃないかと思うから。3次元の人間のおたくは全て自分の思う通り(?)否定されないから楽に感じるんじゃないかな。わかんないけど。だから2次元の過激派()は「自分なりの正解がある2次元のコンテンツの中の舞台作品」であるというフィルターを通して「自分の解釈が正しい」という前提の上で役者さんのこと見てるのかなって思った。平面の推しが立体的なビジュアルになって喋ってるだけで尊いという説もあるけど、そこには「俳優」本人は存在してなくて、作品の中のキャラクターとしてしか見ていない。

 

だから「テニミュのおたく」とか「忍ミュのおたく」とか、コンテンツにおたくがついてて、そこに出ている間や卒業してちょっとの期間、その作品に触れたツイートやブログへの反応はたくさんあっても他の日常ツイートやその作品以外の舞台に関するお知らせには反応ゼロ、なんてこともザラなんだろうなと思った。「(俳優)くんの(キャラ)」っていう言い方をしたりするのは「3代目菊丸」みたいなそのキャラクターを区別するためだけの記号でしかないんじゃないだろうかって。

 

 

 

2次元の好きなキャラクターの役をやった俳優さんのその他の作品を観に行かない(しかもそれなにの接触はくる)のに「舞台沼><」「俳優沼><」って言ってる人たちは嫌いだけど、きっと我が身がかわいいんだろうなって思うと仕方ないのかな〜と思えないこともなくはないんじゃないかと思えてくる気がしますね。無理があるか。

 

周りを気にせずマイペースにおたくやりたい。